初めての海外旅行(中国 自転車 旅行)

《 21.敦煌(トゥンホアン)へ地獄の移動 》

 (050) 1987/10/05(月) 晴れ 喀  什〜[汽車]〜アクス泊
 (051) 1987/10/06(火) 晴れ     〜[汽車]〜ルンタイ泊
 (052) 1987/10/07(水) 晴れのち曇り 〜[汽車]〜トクスン泊
 (053) 1987/10/08(木) 曇り     〜[汽車]〜烏魯木斉〜[火車]〜
 (054) 1987/10/09(金) 曇りのち晴れ 〜[火車]〜柳園 着
 (055) 1987/10/10(土) 晴れ 柳  園〜[汽車]〜敦煌

読み(意味)
 汽車=(バス) 、 火車=(列車)
 喀  什=カシュガル 、 烏魯木斉=ウルムチ
 柳  園=リウユワン 、 敦  煌=トゥンホアン



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 6時に起き、腰が痛いのに、汽車站(バス駅)まで歩く、腹の調子はいいが、また、感冒(風邪)をひいたらしい。
 汽車(バス)の旅は、すごく楽しい。今度中国に来る奴がいたら、汽車を進めるぞっと!!

 復路の第1日目の日記に、こんな事が書いて有りましたが、結局バスの旅を進めたことは1回も有りませんでした。なんせ、こんなに長期に旅行する社会人なんて、滅多にいませんので、旅の話を長々としただけで、嫌がられてしまうということが、しばしば有りました。
 そうすると、タマーに「中国ってどんな所なの?」と聞かれても、又長くなると嫌がられるだろうと思い、「うーん行ってみれば解るよ!!」と言う簡単な返しで終わってしまい、バスの旅の話すらでてこなかったです。
(*^.^*)ノ・・・デヘッ!!

 喀什に滞在中に、腰痛が直らなかったので、この後相当苦しみました。ついでに風邪をひいたみたいで、どんどん調子が悪くなっていきましたです。のちに、和さんと話をしていたら、和さんが一言言いました。
「こいつ死んじゃうんじゃないか!と、思っていたよ!!」
「うっ!本当に!」
「うん!」

 確かに、長期の下痢と風邪と腰痛で、あの過酷なバス移動だったので、ヘロヘロだったことは、間違いないですけど、そう簡単には死なないでしょう。
 写真を見ると、結構元気そうに写っているのですが、見た目ほど元気ではなかったのです。空元気というやつかなぁ〜??
 下の写真見て見てよ!!相変わらずおバカなポーズを取ったりして、結構元気そうなんだよねぇ〜(?.?)


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[喀什〜烏魯木斉の休憩]

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[朝からパンク修理]

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[カンペーイ!]

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[ラグ麺]

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[元気そう?]

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[湯のみ]

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[鶏]

 途中、開水(お湯)を貰ったのだが、それがなぜか知らないけど、あぶら臭くって、全然飲めなかったです。のどが渇いたけど、飲むと気持ちが悪くなるので、飲めないっす!!これは結構つらかったです。
 でも、休憩の時に哈密瓜の切り売りがあったので、それを食べて咽を潤しました。肝炎が怖いので、切り売りの果物を食べては駄目というのは重々解っていますが、どうにもガマンが出来ませんでした。
 瑞々しく、さっぱりした甘さで、すっごい美味かったです。渇いた咽に最高ですなぁ〜。



 10月8日です。やっと烏魯木斉(ウルムチ)につきました。
 なんと、雪が降っているではないですか、めちゃくちゃ寒いです。具合が悪いのに、直ぐにこんなん出て来ました。
 細川たかしの歌で、
「雪の降る町を あなたと2人で・・・・」
 を文字って、
「雪のフルムチを あなたと2人で・・・・」
 で、三人で合唱してしまったですダニよ!!('-')エヘ

 そんなバカな替え歌を歌っている場合ではありませんです。
「これじゃぁ〜寒くてどうしようもないなぁ〜!」と和さん。
「どうする。」と弘やん。
 BUNはもうつらかったので、その話は黙って聞いていました。
「もっと暖かい方に移動するか!」
「何処??」
「敦煌に行った?」と和さんが言う。
「いや!2人とも行ってないよ!!」
「じゃぁ〜取り敢えず柳園まで移動しよう。」

 そのように決まったので、切符を買ってくるのと情報を得るので、BUNが荷物番をして待っている事になった。動くのも大変なぐらいだったので、この様になったのです。まぁ〜言葉の出来ないのが一緒に行っても、邪魔になるだけだけどね。

 2人とも帰ってきて、「柳園まで行く切符は買えたよ!まだ時間あるから、買物を済ませよう。」と言います。


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[ここはどこ?]

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[火車(列車)の中で]

 さっきの替え歌を歌いながら、これじゃぁ寒くてどうにもならんと、一代決心して、毛糸の股引を買って履いたのですが、どうにも駄目です。上に履いているズボンが薄すぎるので、まるで役に立ちません。
 火車の中で履き替えたのですが、それでも冷気が貫通して来ます。その晩は、寒さに耐えるのに精いっぱいで、寝ることはまるで出来ませんでした。
 和さんは、寝袋をもって来ていたので、それにくるまって寝ています。弘やんも羽毛ではないけど一応寝袋を持っているので、暖かそうです。それに上着がスキー用の物なので、そんなに寒くないと言いながら、寝てしまいました。
 BUNは北京で買ったダウンジャケットもどきと、毛糸の股引で完全防寒対策しているのですが、ダウンジャケットと思って買ったのは違うみたいで、何でこんなに寒いんだろうと思うぐらい役に立たない上着なのです。綿でもいいのですが、もっと厚ければ寒さも和らぐのになぁ〜。
 パンツ、靴、靴下以外は、上から下まで全部中国製なので、今一?いや、今五位かな信頼性に欠けていました。

 寒さで眠れず、一夜を明かしたのですが、非常にしんどかったです。又、感冒がひどくなり、具合が悪いっす。
「和さん、あったかそうだね!俺も持ってくればよかった。」
「BUNちゃんにも後でかしてやるよ!!」
「うん!あんがと!」
 和さんが何時間か寝袋を貸してくれました。
 くるまって暖かくなったとたんに寝てしまったようです。自分では眠っているという自覚がなかったので、起こされて初めて知りました。たぶん1・2時間寝ていたのでしょう。
 それから先は、又寒さとの戦いでした。

 柳園に20時半に着き、取り敢えず食事ということなのですが、このときBUNは喋る気力もなくて、2人の後をついていくだけで精いっぱいでした。感冒に、腰痛で歩くのがつらいつらい。
 どんどん離されていきます。とにかく横になりたいとばかり思っていたけど、そうも言ってられないので、必死でした。
 食事もあまり食欲がなくて、軽く食べただけだったなぁ〜!!その後は又宿まで歩きなんとか泊まれて、横になることが出来ました。〈ウ〜しんど!〉


 この間和さんとあったのですが、この柳園では大変だったらしいです。上にも書いたように、このときBUNは非常に体調が悪く、どの様だったのかを全然覚えていないのですが、和さんが話してくれました。

「火車の中寒かったよなぁ〜。寝袋に入っていても寒くて寝れなかったもんなぁ〜。」
「(・・?) エッ!そうなんだ。」
「そうだよ、寝れないよ。」
「寝袋がない俺なんか絶対寝れないよね。」
「そりゃそうだよ。」
「弘やんはどうだったの?」
「あいつも寝袋を持っていたよ。」
「そうだったっけ?なに、ダウン?」
「いや、化繊だった。」
「柳園ではどうだったの?俺具合が悪くて、ほとんど記憶がないんだけども?」
「柳園ついて泊まるときが大変だったんだよ。」
「(・・?) エッ!そうだったんだ。俺全然覚えてないよ。」
「だって、BUNちゃん死にそうだったろ。」
「うん、前に食事にしようと言って、2人の後に必死についていったのだけ覚えているよ。その後の記憶がほとんどないんだ。」
「あそこの汽車站(バス駅)の中の旅社に泊めてくれと頼んだんだけど、駄目だ泊めないと言われ、しまいには、シャンガン(香港人)は泊めてもリーベンレン(日本人)は泊めないのか(・д・)、チョンゴーレン(中国人)プーハオ(否良)とか言ってさ、泊めねえんだったらここで騒ぐぞ!!凸(゜皿゜メ) ウラァァアア。と弘やんと一緒にガーガーやって、すったもんだの末にやっと泊まれたんだよ。もう遅かったしあれから柳園の町まで行っていたら大変だったしな。」
「そうなんだ、そんなことが有ったなんて、まるで覚えてないよ。」
「ちみは死んでいたからな。それと有んなボロボロの旅社で10元(兌換券)も取られたんだぞ。」
「そうだったっけ?」
「そうだよ。でも、あそこで泊まったおかげで、次の日、敦煌に行くのが楽だったけどな。」
「うん、それはそうだ。」

 と、まぁ〜こんな感じでした。
 柳園での旅社代(宿泊代)は和さんの思い違いです。日記に、2.5元(兌換券)と書いて有りました。



 10月10日、目の日です。関係ないだろ!!と突っ込みの声!
 汽車(バス)で柳園より、敦煌までやってきました。距離が短かったので、そんなには苦痛でなかったけど、これまでの疲労の蓄積が大きいので、敦煌賓館にチェックインしてベッドに横になったときは、本当にホッとしました。
「ハァハァ、やっと着いた。」
 取り敢えず横になる。
「ハァ〜しんどい!もうだめだぁ〜!」
 とBUNだけ大げさに疲れてました。和さんと弘やんも疲れていたと思うけど、2人とも体力があるので、BUNほどではなかったと思います。

 日記には、この五日間の移動した記録が書いて有りますけど、文章が書いて有る文字数が、なんと、150文字ぐらいしか書いてませんでした。移動だけなので、何もないのですが、この辛さとかをもっと詳しく書いて有ってもおかしくな様な気がするのですが、それだけダメージが大きかったのでしょう。




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