初めての海外旅行(中国 自転車 旅行)

《 20.お世話なりました。 》

 (049) 1987/10/04(日) 晴れ 喀什(カシュガル)



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 今日は、堤さんが迎えに来る日だ。  堤さんは、残留孤児ですごく苦労したという。そりゃそうだろう。家の母親が言うには、終戦直後は韓国にいたのだが、帰ってくるのが大変だった。おかあさん(BUNのおばぁちゃん)は、北朝鮮の方にいたため、頭を丸め女であることを隠して、日本にからがら帰ってきたと言っていたので、親とはぐれてそのまま帰れなかったら、うちら若いもんには想像がつかないぐらい、大変だったであろう。


[ご馳走さま]

 食事をご馳走になったのだが、ご飯が余りにも美味しくて、思わずおかわりをして腹がきつくて苦しかった。少しは遠慮しろよといまさらながら、思いました。反省。

「日本に帰りたいのですが。」
「そうですね。最近はボランティア等も有るので、出来ますよ!」
 と工藤さん。
「出来れば息子たちも一緒に、帰れないでしょうか?」
「それはどうでしょう。」
「こっちでは、家族全員で暮らしているので、出来れば一緒の方がいいのですが。皆さん、親御さんと暮らしているのですか?」
 社会人だと言った、BUNと和さんを見ながらそう言った。
「・・・・・」
 言葉に詰まっていると、工藤さんが助け船を出してくれました。
「日本では、色々問題があって両親と一緒に済むのは、最近では少ないです。」
「そうなんですか?でも、何故なんですか?」
「まず東京の大学に入る人が多いので、そのまま就職も東京という人が多いです。それと、地元で職が見つからない人は、東京に出て来るので簡単には、一緒に暮らせません。日本は経済大国ですが、その分、物価が高いので一人一人の生活はかなり苦しいです。」
「ハァ〜そうなんですか?日本に帰っても、結構大変そうですね。」
「そうですね。軌道に乗るまでは、大変でしょうけど、ボランティアとから手伝ってもらい、皆さん何とか暮らしていますよ!」

 親と暮らしているかと聞かれたときは、どの様に話して良いか解らずに、黙り込んでしまったが、さすが工藤さんです。助かりました。



[バザール]

[お世話になりました。]

 沢山ご馳走になって、その後はバザールに行きました。
 工藤さんや弘やんは、バザールで堤さん達に、交渉してもらい安く物を買ったみたいだが、BUNはロバにつける鈴を買っただけだ。それも自力で。余りにも値段が安いので、交渉してもらう必要がなかった。(^^;ゞ
 この鈴捨ててしまったのですが、捨てなければよかったと思ってます。最近ちょっこっと山に行ったりすることが有るので、熊よけにロバの鈴なんかぶら下げてたら面白いだろうな。なんて思ってたりして!!
 あっ!そうそう!BUNにとっては、これが食事の次に堤さんにお世話なったことだ。懐中電灯の電池ホルダーの先の部分に、リード線を半田付けしてもらうのを頼んでもらいました。こう言うのは、地元の人しか頼めないので、すごく助かりました。堤さんも方々に聞いて回ってやってもらえたので、BUNなんかは絶対にできなかったでしょう。
 本当に有難うございました。

 しかし、何故にそんな物が必要かというと、ウォークマンの電池が単四なのですが、その単四が売ってないのです。有って単三までです。だいたいアルカリ電池さえ売ってません。
 もちろん大きな町(上海、北京、成都)なら売ってますけど、そこそこの町では売っていないのです。
 単一電池も、直ぐに寿命が切れたりする物が有って、品質が悪いです。電池売場では、豆電球が於て有り、ちゃんと確認してから買うことが当たり前のようになってます。
 そこで考えたのが、単一の懐中電灯のホルダーの先の部分に、線をつなぎ、それをウォークマンの電池の接続部分に接触させるようにすれば、結構長く聞けるのではないかということです。
 まぁ〜結果からいうと、上手く行きました。最長で25時間ぐらい聞けたので、3日は持ちましたです。


 こんなに、お世話になったのに日本に帰ってから、仕事に明け暮れて(ほぼ泊り込み)はがきも出さずじまいで駄目なBUNでした。済みませんでした。




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