初めての海外旅行(中国 自転車 旅行)

《 14.吐魯蕃(トルファン)で観光 》

 (035) 1987/09/20(日) 晴れ 吐魯蕃(トルファン)史跡巡り
 (036) 1987/09/21(月) 曇  吐魯蕃(トルファン)モスク見学



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 朝6時30分に起こされた。めちゃくちゃ眠いが、史跡を見に行くツアーに参加するので、なんとか起きて見に行きました。
 確か、昨日弘やんが、香港人の女性たちに誘われて、行くことになったと思う。「人数がそろわないと駄目なので、行かないかと誘われたのだがどうする?」と訳してくれた覚えがあります。

 集合場所に集まったのは、香港人(女)3人、ドイツ人(男)1人、日本人(男)4人で計8人のグループです。
 コースは宿 〜 高昌古城(?) 〜 ミーラ見物(アスターナ古墳) 〜 ベゼクリク千仏洞 〜 ぶどう園 〜 火焔山 〜 公塔蘇 〜 宿と言う感じで、お値段は、11元(人民)でした。
 史跡巡りプラスぶどう園と言う形のツアーだったので、もしかしたら、その他も見たかもしれませんです。丸々1日のツアーでしたので、かなりの場所を廻ったと思います。
 乗物は軽トラックの荷台に、縦に板をひいたものです。当然ですが、道がそんなにいい方ではないので、板の上に座っていると、非常に尻が痛いです。日記にも16時30分に見終わったのですが、疲れた、けつがやたら痛い!非常に痛い。としか書いていなくて、見た物の感想とかがまるで書いてませんでした。それぐらい痛かったのでしょう。

 初めに、下の写真が高昌古城だと思うのですが、ちょっとはっきりしません。日記に何も書いてないし、他の頁を色々見たのですが、ちょっと解らなかったです。予測するとたぶんそうなのではないかと思ったので、ここを初めとしました。
 高昌故城は約1.5km四方の広さで、3世紀から14世紀にかけて新疆東半の政治経済・文化の中心地で5万人が住んでいていたらしいです。

[今一な朝日]

[朝日を浴びながら]

 ミーラ見物(アスターナ古墳)もしたのですが、地下に続く階段を降りていって中に入っていったのはいいのですが、真っ暗でまるで見えませんでした。天気がよかったので、少々薄暗いところに入ると、目がなかなかなれずに、時間切れになってしまったみたいです。

[アスターナ古墳]

 それよりも、貴族のミーラも風化しているみたいだったので、見てもしょうがなかったのかなぁ〜?写真も撮っちゃ駄目と言われていたしね。外側だけでも撮ってくればよかったのですが、平地に階段状に降りていくだけのところを写真に収めようとは思わなかったです。
 興味のある人はここを見てください。リンク切れになっていたら、ゴメンです。自分で探してね。
 写真は有ることは有るのですが、その説明を書いている石碑にぶら下がっているBUNの写真しかなかったです。(^^;ゞ


 ベゼクリク千仏洞は、火焔山の谷間にあり6世紀〜14世紀頃の石窟寺院です。石窟内には、美しい仏教壁画がありますが、イスラム教徒や西洋の探検隊に、はがしとられてしまい、現在ではほんのわずかしか残っていません。顔をつぶされているのは、他宗教徒(イスラム教徒)にやられたものだということでした。奇麗にはがされているのは、当然探検隊でしょうな。

[ベゼクリク千仏洞]

 まぁ〜どこの国でも、この様な遺跡が有るところは、皆同じように否定と略奪でまともに残っていないので、人間とはしょうがないバカな生き物と思って、あきらめましょう。
 左の写真がそうなんですけど、壁画とかは撮ってはいけなかったのかどうか解りませんが、撮っていないところを見ると、駄目だったのでしょう。それとも、勝手に自粛したのかな?いや!かなり荒れていたので、撮るほどの物でもなかったかもしれない。
 だいたい博物館とかの中で写真は撮ってはいけないことになっているので、無難にそうしたかもしれません。

[命]

 しかし、おバカなポーズで撮っていますなぁ〜!!こんなことやっていて、これで死んでしまったら本当のバカですなと言いたくなります。自分のことながらちっと恥ずかしい。でも、初めに命のポーズをしたのは、BUNかもしれないなぁ〜??

 この後はぶどう園によってぶどうの食べ放題です。確かお昼もかねていたような気がするのですがどうだったかな?
 日本人同志で、こんなところで、ぶどうを食べて大丈夫なのかと、話したのですが、のどが渇いていたし、なる様になれと思って、皮ごとムシャムシャ食べてしまいました。結構美味しかったです。
 なぜに、こんなところで食べて大丈夫かと疑ったかと言いますと、水で洗った葡萄をざるにてんこ盛りで持ってきてくれたのですが、その水が信用おけないです。一番恐いのが肝炎にかかることなので、初めの方は手がでませんでしたし、食べても、一粒づつ皮をむいて食べていました。でも、このぶどうは、なぜか知らないけど、身と皮がくっついていて、皮がつるっと剥けませんです。
 だんだん面倒くさくなって、結局皮ごと食べてしまいました。('-')エヘ!皮は渋くないので、衛生的に信用が置けるなら、皮ごと食べても美味しく食べられます。
 この辺は、地下水が抱負なので、井戸が沢山掘られ、井戸と井戸をつないだ地下水が町中を流れて居ます。命の水、カレーズ(地下水)の総延長は天山の麓から3000キロにも及ぶと言われています。
 その水を使って、作ったぶどうは甘くて美味しく、干しぶどうや葡萄酒も作っているみたいです。
 もちろん葡萄棚というのでしょうか葡萄が縦に連なった物が沢山干されているところも見ました。

[運ちゃん]

[火焔山]

[カメラマン?]

 左上の写真は火焔山を見学しているときに、運ちゃんが休憩していたので、それを1枚取っておきました。なかなか、大地に寝そべって休憩する人はいないので、ちょっと珍しかったのかもね。それと、火焔山をバックに撮ったバカな写真です。('-')フフ
 トルファン番地の北端に100キロにわたって連なる山脈で、日中、気温が40度を超えると辺りの地表温度は60度以上にもなり、赤いシワの山肌は陽炎で炎のようにゆらめく。などと他の頁に書いてましたけど、ただの侵食された小高い丘で、高さはだいたい800m位です。
 もしかしたら、夕日に照らされたら、赤く燃えているように見えるかもしれません。


[公塔蘇?]

[公塔蘇?]

[絵はがきより]

 公塔蘇の写真が上の写真だと思うのですが、(?.?)と言う感じです。メインの塔が写っていないし、何故に自分を見下げた写真を撮ってもらったのかなぞです。何故、“何処で”と言うキーワードが抜けているのでしょう?
 何にしても、他の頁から持ってきた説明を載せておきます。
 イスラム様式を施した公塔蘇は清朝への誓いのしるし。1779年、トルファン郡王の蘇来満が父親の額敏を記念して建てたので額敏塔とも呼ばれる。額敏は当地の反乱などを鎮圧し、祖国の統一に尽力した人物。清朝にも信頼があり、塔は清朝への忠誠の証として建てられたという。
 イスラム建築様式で、塔頂に登れば、砂漠のオアシス、トルファンの町並みが一望のもとに広がる。塔の傍らには教堂もある。と書いて有りました。
 この説明が載っているページは、ここです。
 それと、絵はがきが有ったので、それも載せておきました。

 そうそう、思い出しました。カメラがしょぼいので風景とかとってもしょうもないだろうと、絵はがきを買うことにして、その場の風景写真はパスしたのだということをすっかり忘れてました。
 カメラとかも趣味でなかったので、たんなる記念撮影でいいやの精神だったりします。その記念撮影もかなり中途半端だったりしてね。



 一夜明けて、今日もまた起こされた。昨日の強行軍ツアーのおかげで、疲れがまだ残っていてしんどいです。食事付だったので、朝飯の時間におくれないように、弘やんが起こしてくれたのでしょう。

 食事の後は、ウルムチまでの汽車(バス)のチケットを買いに行って、帰りにバザールによってから帰ってきました。
 バザールで服を買おうかと悩んだのですが、結局買わずじまいでした。

 宿でハングリー(ヘンドリー)と話をしたです。
「日本人の話す英語がさっぱり理解出来ないよ!」とハングリー。
「どうして?」
「例えば、日本人の人は“チケット”と言うけど、“ティケット”と言わないと通じないんだよ!」
 弘やんに通訳してもらったのだが、そうだろうなぁ〜と思いました。
 日本は、しゃべる方はほとんどやらないし、地方だと先生自体が訛っているので、英語からはかなり離れているような発音になってしまうことは間違いないです。だからといってBUNみたいに、まるで勉強しないのも困ったもんですけどね。

 ハングリーはそのような厳しいことも言うけど、本当はオモシロイ奴なんです。なんていうのかなぁ〜外人特有のユーモアなのでしょうけど、結構それがオモシロいです。
 このときも、部屋に入っていくと、どこ行ってきたというようなことを言ったので、「切符買ってきた」と日本語で言って、切符を見せるとその切符をポイッとゴミ箱の中に捨てました。ふざけてやって居ることは解るので、「何すんだよ!バカタレ!」と言いながら、ハングリーのそばまで言って屁をこいてあげました。
 ハングリーが鼻を押えながら、「おまえ、今、身がでただろ!」と言い、「俺が今同じことをやったら確実に出る。」と身振りも交えて言ったので、3人で笑ってしまったです。フフフ


 午後からは、モスクを見に行ったのですけど、何だかよく解らなかったです。(*^.^*)ノ・・・デヘッ!!

[赤いトラクター]

[ダック?]

[うーん?]

 こんな写真ばっかりで、すんませんです。
 風景も撮っているのですが、やっぱりフィルムが良くないので、思いっ切り修正しないとここまで奇麗には、見れないです。まぁ〜気合い入れて修整するほどの写真じゃないけどね。



 日記に、夜、弘やんとバカな話をして凄く笑ったというのが載っていたのですが、内容が書いてません。覚えていることを書きます。
 弘やんは、当時20歳の学生でした。話がおもしろい奴でしたが、今では、いいお父さんです。

「俺ウイグル人に良く間違われるんだよ!」
 そう言えば、良く似ているなぁ〜と思っていました。
「ウイグル人にも似てるけど、招き猫にも似てるよね!」
「嘘!本当?」
「うん、似てるよ!俺は、北京で中国人に、朝鮮人かと聞かれたよ!」
「朝鮮人というより、モンゴル人じゃないの!ほっぺの当りが」
 と頬をつまんで言うので、
「そうかも。高校の時にも言われたこと有るよ!」
「中国人に?」
「違うよ!日本人に!」ハハハ

 BUNは結構タバコを吸うので、弘やんがこんな事を言い始めました。
「咽が痛いとか言って、良くそんなにタバコ吸えるね?もしかして肺癌で死ぬと決めて居るでしょ!!」
「そんなバカな!何で死ぬかまで決めてないよ!」
「いや!俺は、たぶん“ハゲ”で死ぬよ!」
 それを聞いて笑ってしまいました。ハハハ
「ハゲで死ぬの?」
 頭を押さえながら、こう言います。
「だって、もうきてるもん!!」
「そうかな!」
「そうだよ!ほら!それに、じいちゃんもおじさんもはげているんだよ!!家の親戚、皆つるっぱげ!」
 禿げて死ぬことを信じているようです。(もちろんふざけてだよ!)

 こんなところでしょう。もっとおかしい話があったと思うのですが、思い出せませんです。m(._.)m ゴメン




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